昨日、ある配信者の配信に凸をした。なんだかんだ6時間話したわけだが、改めて個人の価値観というのは難しいものだなと実感した。
軸にしているところが違うだけでここまで認識に差があり、お互いの理屈を伝えあってもお互いが「なぜそうなる!?」となってこれはこれで面白いものがあった半面、平行線になるなってなった。
例えば、何かしらを企画したとして企画者が根回し、準備をするのが当たり前で呼ぶ人には何かしらのコストを求めることは呼ぶ人に失礼だとする認識しているのだが、人によっては企画者側は準備しているのだから呼ばれた側も何かしらの協力するのは当然だという認識があり、協力しないのは失礼だということらしい。
この場合「失礼」という感情論は同じだけど、基準が違いすぎて話が嚙み合わないことが起こる。片方は企画者の責任を問題視していて、片方は呼ばれた側の企画者側に対しての配慮を問題視している。
今回の場合、SNSで議論したことから始まったけれど視点として俺は発言者としての責務について話したが、相手は読み取る側の責務の観点から話していたように思う。
こうなると、まず認識は出来ても理解することは難しいとなる。話の途中でマイナンバーの話になったが、こちらはそれだけの覚悟を相手に求めていると説明し、犯罪?知ったこっちゃないなという説明をしたのだが、相手としては犯罪はいけないよ、未然に防いだことを感謝すべきと言われた。これも覚悟、気概の話をしているのに相手は「一線」を超えてはならないという基準を持っているようだった。
「対話」という認識もそう、こちらは相手の質疑応答も対話という認識な訳だが、相手側は質疑応答を「し合う」までが対話だと思っているようだった。
そういう観点から折り合いをつけるのが難しいのだなと感じた。